デフレ・景気・経済成長 安倍政権の誤れる経済政策

 

 安倍晋三自民党政権は、デフレ対策と称して2%の物価上昇率目標を掲げ、日本銀行に更なる金融緩和を促す政治的圧力を掛ける他、大規模予算を組んで景気対策を行おうとしている。
 これらの政策を見ると、安倍総理にはデフレの正体が見えているのか疑わしい。今のデフレは対策など取りようもないもので、デフレ対策と言っている段階で今のデフレの本当の原因が分かっていないと言わざるを得ない。現在のデフレの真因は賃金の下落にあるのである。物価は低下しているが、賃金ほどではない。
 日本人の所得は1997年頃をピークに低下し始め、現在までに15%も下落している。これがすべての日本人の所得が均等に下がっているのならまだしもなのであるが、低所得の非正規雇用が増えるという形で不均等に低下しているので社会的な問題となる。
 一方、物価もほぼ同じ1998年頃から低下しているが、4%程度である。このことから見て安倍政権の2%の物価上昇目標というのが、何を本当に狙いとしたものなのか、焦点を外してしまった政策目標であることが伺われる。それにそもそも、一般庶民からすれば、物価は上がらない方がよいに決まっているのである。
 日本人の賃金の低下は、中国が改革開放政策以降、低賃金の世界の工場として発展してきたことの影響によるものである。2007年の数字であるが、東京の平均手取り月収は24万円であるが、上海では4万円に過ぎない。日本人と中国人にそもそも能力の違いがあるはずもない。グローバリゼーションはこの格差を許さず、両都市の所得差はこれからも縮小を続けていくであろう。これが日本人の所得低下の原因なのである。中国の経済成長は世界経済に多大な影響を及ぼしているが、日本は地理的に近いだけにとりわけ生産拠点としての地位を奪われ易い。同様な環境にある台湾でも賃金低下は起こっている。
 一方、物価の下落も中国人が低賃金で使用に耐える製品を製造してくれていることの恩恵であり、ユニクロや百円ショップなどで我々はそれを実感している。また給与所得者の賃金が下がっているため、小売店や飲食店などが自分達の利益を減らしてでも価格を下げないと売り上げが確保できなくなっていることも、物価下落の要因であるとともに、日本人の所得の減少の連鎖を引き起こしている。
 安倍政権のデフレ対策で2%物価が上昇した後、それに見合うだけ給料が上がるだろうかなどと案じる向きがあるが、上がるはずがない。原因と結果を取り違えているのだから。
 グローバリゼーションが引き起こすこの大波は世界史の大きな流れである。世界経済の一プレーヤーに過ぎない一国の政府にできることには限りがあって、世界史の流れを押しとどめるようなことは不可能である。現在の日本のデフレは日本政府がいかなる政策を取ろうが、日本銀行を恫喝して金融緩和を拡大させようが、決して止まることはない。しかし、日本人の給与が低下を続け、中国人の賃金が上昇し、いつか一定の均衡点に達したらデフレは自然に収束するであろう。
 なお藻谷浩介氏の『デフレの正体』では人口減少にデフレの原因を求めようとしているようである。人口動態論に基づく氏の議論は忘れてはならない視点であるが、人口減少で賃金下落を説明するのは無理があろう。

 また安倍自民党政権は、巨額の財政出動を伴う公共事業を大々的に復活させつつある。
 現在の自民党政権には長期的なデフレと短期的な景気変動との区別ができていないように見受けられる。世界史的な経済構造の変動に対して一国の政府や中央銀行に為し得ることは限られているが、短期的な景気変動の影響を緩和するためにケインズ政策的な財政出動をすることは常套手段となっている。問題は今がその時なのかということである。
 上に述べたように、日本経済は15年を超える長期的な賃金下落の過程にある訳であるが、その中にあっても短期的な景気変動の波は起こっているのである。例えば2002年から2008年の間は高度経済成長期の1965年から70年まで続いたイザナギ景気をも超える景気拡大局面であった。その後、アメリカ発のサブプライムローン問題やいわゆるリーマンショックで不況に入っていった訳であるが、2013年の現在、膨大な借金を抱える政府が巨額の財政出動をしなくてはならないほど景気が悪いとは思われない。南欧諸国の財政危機も峠を越したかのようで、むしろ景気が回復し始めた兆候が見える。
 日本の政界はこの20年間、この取り違いに気付かぬままで来たため、景気は悪くないにも関わらずたえず景気刺激策を打ち続け、その結果、日本の国家財政は取り返しのつかないほど借金まみれとなってしまったのである。

 安倍自民党は、先の総選挙で名目3パーセント以上の経済成長を目指すとした。成長戦略という言葉は、民主党政権の頃からたびたび聞かされた言葉である。
 日本はバブル経済が崩壊した1991年頃から既に20年以上に渡って、平均1%に満たない低成長の時代にある。その間、BRICsと呼ばれる新興国が目覚しい発展を続けている他、多くのこれまで途上国とされてきた国々が、グローバリゼーションの恩恵を受け、経済成長を続けた。
 日本はそれを羨んでも仕方がない。
 中国は北京と上海の間に新幹線を敷設するというような魅力的な投資案件がまだ残っているから高い成長を続けているのである。日本も東京と大阪の間に新幹線を建設していた頃には毎年、現在の中国と同じくらいの成長をしていたのである。函館と札幌の間に新幹線を敷いたり、ましてや老朽インフラの更新をしても経済が大きく伸びる訳はない。これは上り詰めてしまった者の宿命なのである。経済成長率が鈍化してしまっているのは日本に限らず先進国共通の現象である。中国も時間とともに経済成長率が鈍化していくのは誰でも予測できることである。
 インターネットが社会を変えたように、日本も技術の進化について行くばかりでなく、自らその先端に立とうとする気概も必要であろう。しかしその一方で、成長戦略などと意気込むのでなく、低成長期の成熟社会をどう生きていくのかという視点も求められている。
 たとえば、住宅ローン減税などを通じて新築のマンションや戸建て住宅の建設が促進される一方、空き家が増えているという矛盾がある。住宅ローン減税によって税収を減らしながら、他方では消費税の増税が予定されているのである。住宅取得の可能な中高所得者を優遇する住宅ローン減税は廃止し、中古住宅を再生して活用することが、成熟社会の住宅政策であるべきである。
 グローバリゼーションは途上国の経済成長をもたらした一方、先進国の中に貧困層を発生させた。しかし、70年代や80年代には南北問題として、南の国々の貧困が国際的な問題とされてきたのである。貧困問題の焦点が移動した訳である。
 失業や低賃金の問題の解決は容易ではない。法定の最低賃金を引き上げれば賃金が上昇するかのような幻想を抱き、極端なところでは最低賃金1000円などと主張して経済音痴ぶりを曝け出す政党があるが、賃金を決めるのは官庁ではなく市場である。
 賃金の低下に対策があるとしたら、教育に資金を投じて、日本人の技術水準と生産性を向上させる以外にないと思われる。ところが安倍政権は公共事業に注ぎ込むほどには教育に予算を回そうとはせず、大学生や大学院生は今日も勉強や研究のための貴重な時間を削ってアルバイトに精を出さざるを得ないのである。
 安倍政権の間違った現状認識と誤れる政策の先には、日本の再生は見えてこない。
2013/2/9


清水真哉の大放言

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