まち歩き


2018/9/2(日)
表参道の交差点から根津美術館まで歩き右折。骨董通りまで行き、また右折。
骨董通りと言うが、骨董屋さんは通りの入口に三軒確認できただけ。洋服屋さんの方が多く、コットン通りと改称した方がよい。

2017/3/31(金)
ガード下探訪
有楽町から新橋、新橋から東京駅、東京駅から有楽町と歩いた。
有楽町から新橋には真ん中の通路がある。
ガード下の使えるところはまめに使っている。
在来線のガード下は煉瓦やコンクリートが多いが、新幹線のガード下は鉄骨が主。
在来線はJR東日本で新幹線は東海?
コリドー街は高速の下でそれに面するJRの下は使えない。
あちこちで耐震補強工事をしている。
東京駅丸の内側にはとバスの拠点がある。

2014/1/19
大手町から東銀座まで地下道で繋がっていると聞き、歩いてみた。
九段下から東西線で大手町へ。
大手町から直ぐに東進して八重洲方向に向かったのだが、これが間違いだった。
東京駅付近のラーメンストリートを通り過ぎて、京葉線の地下駅も過ぎ、東京国際フォーラムまで行ったが、そこで地上に出てしまった。隣の新東京ビルに行ってもやはり地上に出てしまう。
八重洲まで戻り、京橋方面に行こうとしたが、そこも地下は行き止まりになってしまい、時間切れでアウト。
そこで初めて地図を見たが、丸の内も西端、千代田線や三田線のあたりを歩かなくてはならなかったのだ。
次の機会を待つ。

2013/12/21
新宿区中井の目白大学に用事があり行く。三時ごろ終わり、まち歩きスタート。
まずは御霊神社。場所が分からず近所のおばさんに教えてもらう。結婚式をしていた模様。
それから妙正寺川(みょうしょうじがわ)沿いを哲学堂公園へ向かって歩く。
哲学堂は実に風変わりな場所、建築群だ。
お寺の子供に生まれたという井上円了先生が西洋哲学をどのように受容したのかが伺われて興味深い。
と言うより、このようなものを大真面目に作ってしまうことが、本当は少し可笑しくて笑ってしまう。
しかし公園としては実に個性的で訪ねた甲斐があった。
そこからは哲学堂通りを真っ直ぐ新井薬師目指して歩いた。
すると西武新宿線の新井薬師駅の横を通り過ぎ、更に商店街を歩くと右手に新井薬師が見えた。
参拝の前に道の左手にある煎餅屋で煎餅を五枚買って食べた。
新井薬師には鐘堂があった。
新井薬師の裏の公園を抜け中野通りを渡ると、北野神社がある。
北野神社は京都の流れなのか天神様を祭っている。別称、新井天神。
神社のホームページには「境内には新井という地名の由来ともなった井戸が現在も使用されています。」とあるが気付かなかった。
ここからが自分流の町歩きの本領発揮である。
このまま中野まで歩いてJRで帰ろうかとも考えたが中野は行ったこともあるし、西武新宿線はあまり乗ったことがないので新井薬師駅から帰ることに決めた。
ただ薬師アイロードという商店街だけはちょっと気になったので、少しだけと思い入り込んだ。
ところが歩き出すとこれが長い商店街。
最後は自動車の走る道路(これが後で早稲田通りだと分かった)に出た。
すると道を渡った先に昭和新道商店街と称する細い道の飲み屋街が続いているのが見えたので、もう少しと思い更に歩いた。
もうそろそろ引き返すかと思い、さて今はどこに居るのだろうと地図を見ると、そこは既に中野駅の方が近い所であった。
こうなったら中野駅から帰るしかないと思い歩くと、中野駅の北東側は吉祥寺のように面的に広がる車の通れない商店街であった。
自分は中野は大学生か大学院生の頃、映画を観に二、三度来たことがあったが、当時は町というものに興味はなく、映画を観ると直ぐに帰ってしまっていたので気付いていなかったのだ。
中野ふれあいロードや、中野北口白線通り商店街、さらに狸小路という雰囲気を醸し出す魅力的な名前の通りもある。
途中、中華そば青葉の本店があったので、またわざわざ来るのも何なので、つい一杯食べてしまった。
中野駅北東エリアは実に魅力的である。
ところで商店街の提灯に薬師参道と書いてあるものがある。つまり自分が新井薬師から殆ど商店街だけを歩いて中野に辿り着いてしまったということは、中野駅は新井薬師へ行く参道の始まりであるということで、この地域における新井薬師の存在の大きさを感じさせられた。
地図を見ると中野は駅の南側にもアーケード商店街があるようなので、今度行ってみたい。

2013/10/31
銀座、三原橋の地下街が残っているうちにと、今日行ってみた。
水道橋から秋葉原、秋葉原から新橋までJRで。
新橋駅から歩き、三十間堀川を埋め立てて道にした道(8-11と8-12の間)を八丁目の端から歩く。
三原橋の地下街は映画館も、飲食店もほとんど閉まっていて、入り口にはベニヤ板が打ち付けられていた。ほんの三、四軒が名残りを惜しむように営業を続けていた。
ここの地下街の辺りは、東銀座の中華料理屋ヤンヤンに行く時に、道の造りが妙だなとは思っていたが、まさか地下街があるなどとは想像もしなかった。
しかし、東京の街歩きを続けて、用水の埋め立てた跡をいくつか見た後では、ここが堀の跡というのは、いかにもそのように見える。

2013/11/4
鶯谷駅南口を出たが、北口を出るべきだった。元三島神社。子規庵、四時前に入ったが、閉館間際。もっとゆっくり再訪したい。三平堂、閉まっていた。羽二重団子、買い物しただけ、ゆっくり座って滝を眺めたかった。最後は豆富料理・笹乃雪であさ開純米を堪能。

2013/4/29
吉祥寺大通りは駅前で一番自動車の通る道路。そこを渡りサンロードのアーケード商店街に入る。月窓寺という立派な禅寺がある。バウスシアターというのは映画館。そこを抜け五日市街道を歩く。吉祥寺プラザというのも映画館。今度は光専寺という寺がある。五日市街道の向かい側に武蔵野八幡宮という神社があるのでお参りする。五日市街道をまた反対側に渡り、さらに八枝(やえだ)神社(牛頭天王社)という小さなお社(やしろ)まで歩く。本社は埼玉の上尾市平方にあるという。その辺りで再度、五日市街道を渡りそのまま北に進み、成蹊大学・成蹊学園の東側を通り、練馬区立立野公園まで歩く。この辺りは畑もあり、緑が多い。いかにも武蔵野という趣がある。そこから東進し武蔵野市と練馬区の境界線上を東京女子大学まで歩く。ここはもう杉並区になるという、三自治体が境を接する辺り。女子大の外壁沿いを巡ると、都立善福寺公園の入り口に辿り着く。吉祥寺駅の近くには、神田川とその支流である善福寺川という二つの川の源流があり、そのどちらもが公園になっていて、自然に恵まれている。地図を見ると井草八幡宮まで、もうさほど距離がないことに気付き、意を決して行くことにする。井草八幡宮は立派な神社で、お社も本格的で敷地も広い。そこからはバス通りを歩いて戻り、女子大通りに入る。女子大通りは途中、美大通りと交錯し、武蔵野美大が近いことも分かる。女子大通りを歩き通すと公園通り(吉祥寺通り)に入り、そこからPennyLaneという通称の小道に曲がる。地図の伊勢丹百貨店はcoppiceというテナントビルに変わっている。吉祥寺大通りの三越はヨドバシカメラになっていたし、三越伊勢丹グループは両百貨店とも閉めてしまったことになる。いよいよ井の頭公園に行く。もう暗くなり始めていたが、最後の目的地の玉川上水まで、途中、人に道を教わりながら何とか辿り着く。吉祥寺は実に水系の町である。狛江橋、七井橋を渡り駅へ戻る。七井橋通りのいせやは改装中。京王線吉祥寺駅の駅ビルも改築中。パークロードはバスしか通らず歩き易い。公園通りのいせやに行くが、行列をしているので諦める。ハモニカ横丁を歩く。吉祥寺は、水、緑といった自然がある一方、ファッションビルから飲み屋横丁まで、町の魅力となる要素がほぼ揃っている。しかしそれを成り立たせているのは、京王井の頭線と交差し、立川新宿間で最も栄える町という絶対的な条件があってのことである。末広通りも少し歩いた。東急デパートの裏辺りを歩き残した。

2011/12/18
恵比寿ガーデンプレイス
この日はクリスマスのイルミネーションをしているので人が集まっていたが、駅から距離があるためか、商業施設としての魅力にはいま一つ欠ける気がした。住民にとっては利用できるものなのであろうか。

2011/7/18
大阪、梅田駅を降りて、お初天神通りを歩き、お初天神露天神社にお参り。そこから東に堀川戎神社まで歩く。台風で小雨模様であるが、天神橋筋商店街のアーケードに助けられる。天神橋筋商店街は堀川戎の辺りから入ったが、北にも延びているようでだいぶ長い商店街のよう。大阪天満宮に参った後、大阪城まで行き、外堀の周りを歩いて、玉造稲荷神社まで行く。JR環状線森ノ宮駅まで歩いたら、駅前に鵲森宮があったので、ついでにお参り。天王寺駅まで電車に乗る。まず四天王寺に行く。そこから西門を通って今宮戎神社まで歩く。そこから引き返して、新世界に行き、通天閣というものを初めて見ることが出来た。下に坂田三吉の記念碑のようなものがある。新世界の中には将棋倶楽部をいくつか見かけた。伝統のようなものがあるのか。新世界には浅草浅草寺の周りの飲食店街と共通するものを感じたが、聖なる核の有る無しは決定的な違いを生んでいる気がする。ガイドブックに出ていた「てんぐ」という店で串焼きとビールを楽しんだ後、動物園前の駅から帰ろうとしたら、南にアーケードのついた商店街が見えたので、入ってみる。延々歩き続ける。ところどころ東側にも商店街が延びていっていることに気がついたが、南に進み続ける。飛田新地という辺りで途切れたので、堺筋を通って北に引き返す。ところが途中で西に続く商店街があることに気付いたので、そちらに歩き始めると、これがまた延々と続く。萩之茶屋本通り商店街、花園北本通り、鶴見橋一番街商店街。途中、スーパー玉出がまたあった。南海津守駅まで来て引き返す。引き返した辺りでトイレにも行きたくなったので、居酒屋で日本酒を一合。同じ商店街を今度は東に果てまで歩き続け、最後は阿倍野のビルの一階の商店街で終わる。天王寺の駅から御堂筋線で帰る。ホテルは西中島南方駅前のコンソルト。

2011/4/29
不動前駅から目黒不動尊へ行きお参り。林試公園を散歩してから、参道の商店街を通って目黒駅を目指す。山手通りを渡り、最後は行人坂(ぎょうにんざか)という急坂を登って辿り着く。

2010/10/16
上野・湯島、無縁坂を上がる。すると東大医学部裏に鉄門という門があった。鉄門会というものの存在は知っていたが、そういう名の門があるとは知らなかった。
無縁坂もさだまさしの歌はよく知っていたし、この近くもよく通っていたのに、無縁坂自体を歩くのは初めてであった。

2010/8/14
表参道から外苑前へ。秋葉神社。善光寺東京別院。
解体寸前の青山北町団地内を歩く。表通りの高級店とは裏腹に、都内の公営住宅の中でもとりわけ古そうなアパート群で、対照の妙に感じ入る。高級外車が違法駐車され、廃車同然に放置されているのが異様であった。
Passage Aoyama。路地風の作りに店が並んでいる。再開発の新しい工夫。

2010/5/16
東急東横線代官山駅から。Eatalia、コの字型の建物に囲まれたテラスの魅力的な店舗作り。Address。朝倉邸、入館時間を過ぎ入れず。朝倉邸裏の緑地横の坂を下る。個性的な戸建住宅が並ぶ。代官山フォーラム。ヒルサイドテラス。旧山手街道、デンマーク大使館の辺り、低層の建物が並ぶ落ち着いた通り。裏道にクルマの入れない小路があり、今風のショップが並ぶ。しかし代官山駅近くにクルマの入れないメインの通りがあって良いのではないかと思うが、もっと歩いてみる必要がある。帰りは渋谷駅まで歩いた。

2010/5/2
キャットストリート−旧渋谷川歩道−原宿通り−竹下通り−表参道。表参道に参道橋という渋谷川に掛かっていた橋の石碑を発見。


クルマの通れない飲み屋街

新宿ゴールデン街 1 / 2

西新宿・思い出横丁

渋谷センター街

池袋・栄町通り&美久仁(みくに)小路&ひかり町通り

神楽坂

四谷・しんみち通り

両国・横綱通り

江東区亀戸五丁目、亀戸餃子の辺り

門前仲町・辰巳新道

大井町

京都・先斗町、祇園

浦和・伊勢丹裏


クルマの通れない商店街

浅草

アメ横

谷中銀座

巣鴨・旧中山道

江東区
砂町銀座商店街
大島中の橋商店街
亀戸五丁目中央通り商店街

新小岩駅北口
新小岩南口・一番通りからルミエールにかけて

下北沢

習志野市京成谷津駅駅前商店街

北浦和・平和通商店街

横浜・元町

大阪鶴橋市場


東京の区

東京の川

東京の道

東京の地下鉄

東京の交差点 excel文書です

浅草

銀座

小売


銭湯


書籍

エドワード・サイデンステッカー著 安西徹雄訳「東京下町山の手 1867−1923」1986:TBSブリタニカ
東京についての本を幾ばくか読んだが、これは表現の力において抜きん出ている。
歴史的な事実がただ挙げられているだけでなく、その歴史的意味合いの捉え方が的確であるので、時代像がくっきりと浮かび上がってくる。
日本の歴史や物事に余程通じていないと、このような叙述は出来ない。
とても外国人が書いた書物には思えない。
このような名著が品切れで古本でしか買えないとは誠に遺憾としか言いようがない。
2007/3/29


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